いつも「ときめきピチピチ便り」をご覧いただいている皆様、こんにちは。
しゅんです。
もう12月が近づいてきました。
南三陸もなんだか寒さがもうやって来て、
車のタイヤ交換も急がれる時期に差し掛かってきたような気がします・・・。
同時に今だからこそもう一度学ぶこと、知るべきこと、見るべきもの、
・・・がある!!!
・・・・ということで今週は学びのWeekでもございました!
語り部勉強会開催!
&第二回市民セミナーに行って来ました!!
【高野会館】
時間が経過すればするほど、必然的に風化していくものがたくさんあります。
もしそうだとしても、私たちが伝え続けていけば大切な「命」を
守り続けることに繋がっていくと信じて、
やるべきことをやっていく。
今日もその思いをさらに強くした学びの時間となりました。
高野会館の元営業部長・佐藤由成さんを講師に、
改めてたくさんの命を震災から救った「人」そのものの
判断・決断・行動・遺すべきこと・活かすべきことを
今まででも聞いたことが無いような貴重なお話しをたくさん頂くことが出来ました!
(屋上で当時の壮絶な状況を話して下さった佐藤さん)
★高野会館とは?(要約と震災時の状況)
志津川湾から約300メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の
総合結婚式場「高野会館」。
昭和61年に建設され、震災3年位前には住民の方の強い要望で
向い側にあった公立志津川病院とともに地域の一時避難場所になっていました。
震災当日は高齢者の方々の芸能大会が行われていましたが、
その現場でのマニュアルを超えた行動と決断で327名と2匹の犬の尊い命を
救った場所になりました。
(2012年の高野会館(前)とホテル観洋(後方))
(河北新報 当時のことを伝える記事 2011年6月23日朝刊)
・・・・・思ったこと。
本当に4年8か月経ったんだろうか・・・・・
話しを聞いていて、なんだか昨日のことのように思えます。
忘れかけていた、いや忘れようとしてあえて遠ざけていた、
そんな気持ちや記憶が甦ってきて、
ビデオカメラを片手に持ちながら、どんどん手と心が震えてきました・・。
あの時・・・。
私たちは失ってはいけないものを、
たくさん、
・・・・・自らの手で失ってしまったんだと・・・。
また強烈に胸が締め付けられました・・・。 目頭が熱くなりました・・。
同時に、だからこそ「生きるんだ!」って意志を強く発して、
あのとき必死に闘い、命を守ることができた事実は
風化させないだけでなく、広く伝えなればという
今までやってきたことかもしれないけど、
もっともっと思いを新たにした今日のお話し。
佐藤さんの話す、一つ一つの言葉の重み・・・。
メモに残された、来る津波、引いていく津波の時間の記録。残そうという意志。
漁師だからこそ感じた波の高さの想像と次への決断。
建物の高さと強さを知っていたからこその避難行動。
決断して人をあの場から帰さなかった勇気と確信。
日頃からの備えと実際の訓練が活きた行動に変わったこと。
雪の降りしきる寒さから身を守るための行動。
キャップ1杯の水を分け合って過ごした夜の助け合い、励まし合い。
目の前で流されていく人を助けられなかった積念・・・。
若者が部屋に入ってくる冷たい風を紙で一晩中押さえてたくさんの人を守ったこと。
次の日から命を救うために次の場所へどうやって移すか考えて行動にしてくこと。
死を覚悟し、だからこそ生きなければ、という決意と、
生きることの喜びと幸せをいっぱいに感じたあの日のこと。
・・・・まだまだたくさんあり過ぎて、たくさんのこと書ききれませんが、
いろんなことを自分の中で
もう1回整理して、さらに「伝えたい」!って強く思います。
ホテルスタッフだけでなく、今日は町の住民で参加された皆さんも、
高野会館を見た衝撃とともに、
このことはたくさんの人に知ってほしい。
見てほしい。
伝えなければ。
伝え続けていきたい。
・・・という同一の思いを共有した時間でもありました。
南三陸という町は震災には遭ってしまったけど、
震災によってさらにたくさんの方々に愛され、応援していただける町に
なったことをこれからもずっと胸を張って伝えられるように。
そして、命を助けて頂いた感謝の思いを繋ぎ、
また亡くなりたくなくても亡くなってしまった方々の
今日も生きたかった思いを無駄にすることなく、
また辛くても忘れることなく、
その思いを継いで、今を生きることを誓い、
それを次の世代に必ず伝えて、守り続けて、繋いでいく事をしていきたい。
そうやって未来は人の思いと繋がりとその手によって創られることを
高野会館を遺すことによって私たちは毎日そのことを思っていけると感じてます。
・・・・・いろんな大切な話しを伝えたくても、
やはりあの時の建物はほぼ無くなりました。
目で見る、感じる大切さはやはり大事です。
もちろん建物が無くたって伝えなければいけないこと、忘れてはいけないことは
たくさんあるけれど、
もし残っていればやっぱりいろんなこと伝えられた自分の家があった場所。
自分自身があの時住んでいた住宅は、
海の側でも高野会館と同じぐらい高さがあって、屋上まで波を被っても
命を救えた場所、震災前からその場所に避難ビルを作ったという意志、
住宅に住んでいたみんなが助かった災害意識の違いと取った行動の速さ、
それが証明された場所なのに、
今は誰が見ても何も無い・・・。跡形も無い・・・・。
忘れてしまうどころか、知らなければ無かったことになる怖さ。
(当時住んでいた松原町営住宅の震災直後の状況)
そこであったいろんな事。
・・・・どれも伝えたいことでもあり、そしてそこにあった思い出も
まっさらになってしまう怖さと寂しさを考えると、
「高野会館」はやっぱり未来へ遺して、繋いで、守って、
私たちが生きていくうえで大切なものを思える場所にしていければと願います。
願わくば、この思いがさらに広がっていく事を信じて・・・・・。
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その数日前には気仙沼市の小泉公民館で開催されました
「復興まちづくり 第二回市民フォーラム」に参加して、
防潮堤の今現在のタイムリーな情報や、それぞれの場所での思い、
ただ単に高さや大きさではなく、命を守るためにどう決めごとがされていて
それをどのように考えていくべきかもっともっと関心を持たなければという、
そんな研修会でもありました。
多くの参加者の方々がここでも自分たちの住む地域の今現在と未来を
真剣に考え、次にどうすべきかをみんなで共有しようという熱意は
私自身も日頃の忙しさ以上に失ってはいけないなと思わされました。
防潮堤の問題もまずは賛成・反対ではなく
しっかり関心を持ち、もっともっと多くの意見や思いが集まれば、
しっかりした未来への方向性を自分たちで作っていけるはずだと思いますので、
これで終わりではなく、
又話しを聞いたことをゴールにせず、
スタートにする、そのキッカケにするっていうことだけでも非常に大きいのではないかと
思います。
研修会が終わって帰ろうとしたその時、
空を見上げれば、
でっかーーーーい虹が!!
きっとこれは幸せな未来へ繋がる架け橋なのかって思いました。
それでは、
ここまで書いてもさらに書ききれない思いはありますが、
・・・・・・・今日お伝えできなかったことはまた次回ということで、
今週はここまで。