いらっしゃいませ
*震災の日が3月2週目の金曜日、「3月その2」だったため、震災以来、この日は「番外編」としてお手紙をお伝えしています。今回は、
ボランティアさんを含めご支援くださるすべての皆様へ
震災から3年が経っても、併走しながら私たちの手を取り励まし続けてくださったお力添え、ありがとうございます。南三陸ホテル観洋託児所マリンパル保育士三浦美香も、震災後一年間はただ夢中で過ごして参りました。
「いつ見ても、元気いっぱいだよね」と言ってもらえたのもこの時期です。
その後の一年間も、まだまだやらなくちゃ・・・と気負っていたような気がします。
3年が経ち、行政や政府の皆様がいうように「復興が加速的に進んだ」とは、到底思えない現実を前に、少し口数が減りました。
身体が思うように動かなくなり、3年分だけ確実に年老いている自分に気づき始めました。
仮設住宅に住むお年寄りが、「もしかしたら、ここが終の棲家になるかもしれない」と話すたびに、他人事のように笑っていた昨日の自分が嘘のようです。
「自分たちで立ち上がらなければいけない時期は、もうとうに来ているんだよ?
支援する人、される人っていう関係はもうやめようよ!」
「いつまでも被災者でありたくない。いつまでも被災地と呼ばれたくない」
その気持ちは、確かにあります。
しかし、自分たちの足だけで立ち上がるには、まだまだ時間も人手もかかるという現実を私たちは、軽く考えすぎていました。
時間がたつほどに、いわれのないさみしさが押し寄せてきます。気持ちの疲れがそれらをすっぽり包み込んでしまいそうになり、怖くさえなります。
これまで日本は、大きな戦争を何度も体験しその度に「軍需景気」と呼ばれる好景気を迎え、どんなものであっても売れるというバブルを体験しました。
しかし、バブルはあくまでもバブルです。
バブルがはじけた後、人々は学習します。品種改良、品質改善、安全安心な食の提供をめざし、お互いが切磋琢磨し合ってモノづくり、人づくりを頑張り、焼け野原だった町が復興して、ライフラインが完成してから益々加速し、新しい戦後の日本が出来上がりました。
震災後、被災地と呼ばれたここにも「復興特需」がやってきました。
どんなものでも売れる時期は、確かにありました。
しかし今は、ふるいにかけられて、本当に良い品だけが後世に残される生存競争がすでに始まっています。確かなモノづくりのための努力と追及が始まっているのです。
本物の復興までには、まだまだ時間がかかりそうですが、一方、気持ちの萎えが人々に押し寄せてきていることも3年を過ぎた今の傾向かもしれません。
4年目を迎えこれからが正念場。南三陸ブランドの中でも良い品の一つとして誇れる商品をうちの会社から残したい!たくさんの皆様に手に取って確かめていただきたい!
一緒に、南三陸町の復興を見守っていただきたいのです。
私自身も気持ちに塩を擦り込み、まだまだ頑張らなくちゃ!!!!
どうぞ、南三陸ホテル観洋応援団の皆様、これからも末永くよろしくお願いいたします。<(_ _)>
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